和歌山地方裁判所新宮支部 昭和34年(わ)2号 判決 1960年2月29日
被告人 中寛明 外四名
主文
被告人東を懲役六月に、同中寛明、同東垣内を各懲役四月に、同西を懲役二月に処する。
但し、この裁判確定の日から、被告人東、同中寛明についてはそれぞれ三年間、同西については二年間、右各刑の執行を猶予する。
訴訟費用(証人笹尾弥三彦、山本嘉寿男、及び、松本登志に支給した分)は、被告人東、同中寛明、同東垣内の連帯負担とする。
別紙横領の公訴事実について、被告人中寛明、同中寛文はいづれも無罪。
理由
(罪となるべき事実)
第一、被告人東は、同中寛明の斡旋により、昭和三二年八月八日頃、新宮市新宮九六五番地弁護士前川春恵方において、笹尾弥三彦との間に、奈良県吉野郡十津川村上葛川塔の谷ほか一ヶ所所在の山林について、従来なされていたいわゆる山林仕込契約を更改し、右山林の松立木及び伐採木約二、二〇〇石を、代金二、〇一二、一二九円をもつて笹尾に売渡し、右代金の内金一、四六二、一二九円については、前記仕込契約により既に笹尾から被告人東に支払済みとなつている同額の仕込金をもつて充当し、残額五五〇、〇〇〇円の内金二〇〇、〇〇〇円は即日支払う、残金三五〇、〇〇〇円は、笹尾の代理人である前川春恵から、被告人東が右立木の伐採搬出等に使用した人夫の労務賃金等として、同被告人に代わり人夫等に直接支払うか、若しくは、同被告人において人夫等にこれを支払つた上、その事実を証する書面を持参したとき、右前川から同被告人に支払う旨の和解契約を締結したものであるが、右和解契約締結に際し、被告人東がその存在を主張した右労務賃等の未払金がほとんど存しなかつたところから、被告人東、同中寛明、及び、同人等から相談をうけた被告人東垣内の三名は、被告人東において右未払労務賃金等を直接人夫等に支払つた事実を証すべき他人名義の文書を偽造して、前川から右金員を騙取しようと共謀の上、同日夕刻頃、同市速玉町二番地小芝元技方で、行使の目的をもつて、被告人中寛明において、有り合わせの便箋に、ほしいままに三重県南牟婁郡阿田和町松本登志作成名義の金三五〇、〇〇〇円受領方を同被告人に委任する旨の委任状一通(証第一一号)、及び利息金六、六五〇円を領収した旨記載した被告人東宛の領収書一通(証第一七号)を作成した上、被告人東において、同日同被告人が西秀夫から借り受けて所持していた松本登志の印鑑を右松本名下に押捺し、被告人東垣内において、有り合わせの便箋に、ほしいままに新宮市相筋二〇六番地山本一男作成名義の、労務賃金として金二六一、五〇〇円を領収した旨の被告人東宛労賃支払金受取書一通(証第一四号)を作成し、被告人東において、山本の名下に有り合わせの山本と刻した印鑑を押捺し、更に被告人東が松本登志から同年七月二一日金三五〇、〇〇〇円を借受けた旨記載した動産担保差入金円借用書一通(証第一三号)の借主欄に、その頃被告人東垣内においてほしいままに記載ずみであつた山本一男の名下に、前同様山本と刻した印鑑を押捺し、もつて、松本登志及び山本一男作成名義の、権利義務に関する私文書各二通の偽造を遂げた上、同日夜、同市大王地旅館茂の井において、右偽造文書四通に、被告人東が保管していた秋山福重作成名義の同被告人宛松材代金等合計八八、四七〇円受領した旨の領収書二通(証一五及び一六号)を添え、恰かも右偽造文書四通が真正に成立したもののように装つて、被告人中寛明から前川春恵に対し一括提示して行使し、これにより、被告人東が、同年七月二一日、松本登志から借り入れた金三五〇、〇〇〇円をもつて、山本一男こと山本嘉寿男に対する未払労務賃金二六一、五〇〇円、秋山福重に対する本件松素材一部代金等合計八八、四七〇円、以上合計金三四九、九七〇円を既に支払ずみであり、右借入金については松本登志に利息金六、六五〇円を支払つている旨虚構の事項を申し向け、よつて前川春恵をして、前記偽造文書四通がいずれも真正に成立したもので、被告人等の述べた右事実の通り、未払労務賃金及び本件松素材代金等の未払分については、被告人東が松本から借入れた金員をもつて既に支払ずみであり、従つて、前記和解契約に定められたこれら未払金三五〇、〇〇〇円の支払義務を履行すべきものであると誤信させた上、即日同所において同人から、笹尾弥三彦振出にかかる、金額を金三五〇、〇〇〇円、振出日を同日、支払人を株式会社紀陽銀行熊野地支店とした持参人払式小切手一通(証第一八号)の交付を受けてこれを騙取し、
第二、被告人西は、被告人東が判示第一のように私文書を偽造行使して、前川春恵から金員を詐取するものであることの情を知りながら、同日肩書自宅において、被告人東に対し、当時自己が預つて保管していた松本登志の松本と刻した印鑑を交付し、右松本作成名義の委任状を作成せよと申し向け、もつて、被告人東等が第一の犯行をすることを容易ならしめてこれを幇助し
たものである。
(証拠の標目)(略)
(再犯となるべき前科)(略)
(法令の適用)
被告人等(被告人西を除く)の判示第一の所為中、有印私文書偽造の点は各刑法第一五九条第一項、第六〇条に、同行使の点は各同法第一六一条第一項、第六〇条に、詐欺の点は同法第二四六条第一項に該当するところ、右は順次手段結果の関係があり、偽造有印私文書行使は一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五四条第一項後段及び前段、第一〇条を適用して結局最も重い詐欺罪の刑に従い、被告人東垣内には前示前科があるから、同法第五六条第一項、第五七条、第一四条により再犯の加重をした刑期範囲内において、被告人東を懲役六月に、同中寛文及び同東垣内を各懲役四月に処し、被告人西の判示第二の所為中、有印私文書偽造幇助の点は各同法第一五九条第一項、第六二条第一項に、同行使幇助の点は各同法第一六一条第一項、第六二条第一項に、詐欺幇助の点は同法第二四六条第一項、第六二条第一項に該当するところ、正犯の所為については、前示の通り手段結果の関係及びいわゆる想像的競合の関係があるから、同法第五四条第一項後段及び前段、第一〇条を適用し、結局最も重い詐欺幇助罪の刑に従い、同法第六三条、第六八条第三号により法定の減軽をした刑期範囲内において、同被告人を懲役二月に処し、被告人中寛明、同東、同西については、各刑の執行を猶予すべき情状があると認め、各同法第二五条第一項第一号を適用し、この裁判確定の日から被告人中寛明及び同東について三年間、同西について二年間、右各刑の執行を猶予することとし、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条に従い、訴訟費用の内、証人笹尾弥三彦、山本嘉寿男及び松本登志に支給した分は、被告人中寛明、同東、同東垣内をして連帯負担させる(なお、被告人西は貧困のため訴訟費用を納めることができないものと認め、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、その負担を免除する)。
被告人中寛明、同中寛文に対する別紙横領の公訴事実についての無罪理由。
一、検察官提出の証拠を綜合すると、二村正次が、昭和八年八月二八日頃、被告人中寛明の代理人中文治から、別紙目録記載の山林七筆を地上立木とともに買受け(証第五号)た後、中文治の案内で右山林に赴き、同人から買受山林の境界の指示を受けたが、その際、本件山林(奈良県吉野郡十津川村大字上葛川日尾谷四一六番地の二、山林一町六反八畝歩)の内栃の木の切株のある場所から山すその一部約三反歩を除いた大部分も右買受山林中に包含されるものとして指示され、これが引渡を受けたので、その後同九年四、五月頃までの間に榎本光隆等を使用して、本件山林上の立木を殆んど伐採搬出し同一〇年頃右伐採跡へ北村明等を使用して植林し、爾来下刈等をしながらこれを管理していたが、同一七年一〇月五日頃右買受山林全部を他の一筆(前記同所四一二番地山林一反五畝歩)とともに小林喜太郎に売渡し(証第四号証)、ついで同二二年頃、小林喜太郎から、東トヨノ――実際は東直治――にこれを売渡し、東トヨノにおいて買受山林全部を管理支配して現在に至つたこと、その間、二村正次はじめ爾後の買受人は勿論、被告人中寛明及びその長男である同中寛文等においても、少くとも同三二年初め頃までは、本件山林が前記売買の際二村正次に売却されたものと思つており、従つて、前記の通り二村正次が本件山林の立木を伐採したときも別段これについて文句を云わなかつたのみか、却つてその伐採木の搬出用に使用するいわゆる荒れ場として、被告人中寛明所有にかかる本件山林に隣接する山林の一部を二村正次に使用させたこともあつたところ、同三二年初め頃、たまたま山林所有者に対する賦課金等のことから、それまで二村正次に売却したと思つていた本件山林の登記簿上の所有名義が依然として被告人中寛明となつており、逆に二村正次に売却していないと思つていた山林一筆(被告人等の検察官に対する各供述調書の記載、及び、証第一号、ならびに司法巡査作成の実況見分調書を考え合わせると、右一筆が別紙目録中(5)の山林三反二畝歩であることが窺われる。)の所有名義が、前記二村から小林、小林から東へと移転登記されていることを知つた被告人等が前記の通りの経緯で、当時東トヨノが現実に本件山林を管理支配していることを知りながら、同三二年七月一五日頃、敢えて本件山林を地上立木と共に、十津川商会に対する被告人中寛明の債務約五二〇万円の代物弁済の一部として譲渡したが、右譲渡前即ち、同三〇年七月九日、本件山林の右登記関係と現実の管理支配関係の喰い違いを知らずに、本件山林の所有名義を贈与を原因として被告人中寛明から妻中みつゑに移転登記していた事情と、十津川商会こと千葉孝夫の指示もあつて、中みつゑから千葉シヅヱに本件山林の所有名義を移転し、同三二年八月二三日、その旨の所有権移転登記手続をした(証第二、第八ないし第一〇号証)ことが、それぞれ認められる。
二、しかしながら、被告人中寛明の代理人中文治と二村正次との間になされた前示山林売買契約において、本件山林がその目的物中に含まれていたかどうかという点については、前示のような経緯からみて、直ちにこれを積極に断定することができず、検察官提出の全証拠をもつてしてもこれを積極に断定するに足りない。即ち証第五号(山林売渡契約書)に、証人二村正次の当公廷における供述二村登らのの検察官に対する供述調書ならびに、榎本光隆の検察官に対する供述調書(昭和三三年二月二八日附)を考え合わせると、昭和八年八月末頃、二村正次及び妻二村登らのが、新宮市内梅の屋旅館に中文治と泊り合わせた際、中文治から被告人中寛明所有の奈良県吉野郡十津川村上葛川字日尾谷に在る山林を買つてほしい旨の申入れを受けてこれを承諾し、同月二八日、予かじめ現地を見ることなく、また図面によつて指示を受けることもなく、別紙目録記載の山林七筆を売渡す旨の記載があるのみで本件山林についてなんら表示のない前示契約書(証第五号)を作成し、その後同年九月一〇日頃になつてから、始めて中文治の案内で榎本光隆をも同道して、前示の通り買受山林の境界を指示され本件山林の大部分をも買受山林として引渡しを受けた上、前示の通り本件山林の立木を伐採しその跡へ植林したことが認められるのであるけれども、右証拠ならびに証人東直治、及び、榎本光隆の当公廷における各証言によると、二村正次及びその後の買受人等は、いずれも買受山林の各筆がどこに存在するかということは勿論、それが何筆に分れているかということも知らず、本件係争が起るに及び、はじめてその筆数や所在場所に気づいたものである事実が認められるのであつて、右各事実に、本件山林の所有権移転登記が二村正次―及びその承継人―に対してなされていなかつた事実を考え合わせると、中文治と二村正次間の売買契約は、右契約書に記載されている本件山林を含まない別紙目録記載七筆の山林のみについて成立したのにかかわらず、その後二村等を現地へ案内した中文治が、誤つて本件山林をも右売渡した七筆に含まれるものとして指示したのではないかと疑われるところである。尤も中文治が、右売買に際し、前示日尾谷所在の被告人中寛明所有山林全部を売却する旨表明しながら、売買契約書にその内の一部山林の表示を欠いていたという事実であるなれば、検察官主張の通り本件山林について記載洩れないし登記洩れがあつたということができるかも知れないが、前掲実況見分調書に、証人東直治、及び西元晴の当公廷における各供述、ならびに、東直治及び、榎本光隆の検察官に対する供述調書を綜合すると、前示のように本件山林の内栃の木の切株のある場所から山すその部分約三反歩が、中文治の指示した境界の外にあり、このことは二村正次もよく知つていたことが認められるのみならず、前示荒れ場として使用された隣接山林も被告人中寛明の所有であることが認められるから、中文治が売買に際し、前示のような日尾谷所在の被告人中寛明所有の全山林を売却する意思表示をしたとは認められないところである。また、被告人等が前示の通り、二村において本件山林立木の伐採及び植林についてなんら異議を述べなかつたということも、中文治と二村との間に売買契約が成立する際、被告人中寛明は名古屋方面に相当長期間滞在していたもので、右売買契約後帰郷した同被告人が、一時は右売却の事実を知つて、これが売却について中文治と相談した実母や妻みつゑに不服を述べたけれども、右売得金をもつて自己の負債が弁済されている事実から、結局暗黙の裡に右売買契約を承認した事実(被告人中寛明ならびに、証人中みつゑの当公廷における各供述による。証人二村正次は、当公廷において右売買契約締結に際し被告人中寛明が中文治とともに同席した旨供述しているけれども、右供述は、上記証拠、ならびに、二村登らのの司法巡査に対する供述調書(昭和三三年一月一七日附)中の昭和三二年三月頃被告人中寛明が本件山林について文句を云つてくるまで、同被告人と会つたこともないという趣旨の供述記載に照して、信用することができない。)ならびに、被告人等も本件問題が起るまで本件山林の番地も知らなかつた事実から考えて、被告人等も単に中文治に指示されて本件山林を二村に売却したものと信じていたに過ぎないとも思われる点からみて、特に被告人等が異議を唱えなかつたことをもつて、本件山林が二村に売却されていた事実を確認することができない。
三、以上述べた通り、本件山林が被告人中寛明から二村正次に売却された事実の存在については、結局その証明が十分でないのであり、若し、本件山林について売買契約が成立していないものとすれば、二村正次が前示の通り境界の指示を受けて本件山林の引渡を受け、平穏公然にその地上立木を伐採し、その跡へ自ら植林しこれが管理を続けてきたとしても、本件山林の所有権を取得すべきいわれがなく、右所有権は依然として被告人中寛明にあるといわねばならないことはいうまでもないであろう。尤も、右のような仮定に立つた場合、本件山林の土地については上述のように論断できるとしても、二村が植林した本件山林上の立木については、同人にその所有権があるという主張がなされるかも知れない。なるほど二村が本件山林(土地)及び地上立木を現実に買受け、その所有権移転登記手続をしないで地上立木を伐採し、その跡に植林した場合ならば、二村は権原(山林土地所有権)によつて苗木を土地に附属せしめた者として、民法第二四二条但書により、右立木の所有権を取得すべきであるといわねばならないが、前示仮定に立つ場合即ち同人が本件山林所有者でなかつた場合には、二村のなした本件山林への植林が、権原あるもののなした植林といえないことは明らかであり、従つて、二村が前記民法の法条によつて本件山林地上の立木所有権を取得することができず、右立木の所有権は、民法同条本文の規定により、本件山林(土地)所有者たる被告人中寛明(現在においては千葉シヅヱ)に帰属し、二村正次―又はその承継人―は、同法第二四八条によつて、これによる損失を不当利得返還請求の法理に従い請求するほかはないといわねばならない(この点は、家屋が、土地についてこれを使用する権原を有しない者によつて建築された場合にも、その者が家屋所有権を取得するのと異る)。従つて、本件山林の立木についても、二村正次―又はその承継人―が所有権を有すると断定することができないから、結局本件公訴事実はその証明が十分でなく、無罪の言渡をするほかはない。
以上の理由により、主文の通り判決する。
(裁判官 下出義明)
目録
(1) 奈良県吉野郡十津川村大字上葛川字日尾谷四一四番地 山林 一反歩
(2) 同所四一九番地 同 九畝歩
(3) 同所四一八番地 同 五畝歩
(4) 同所四二四番地 同 八畝歩
(5) 同所四三二番地 同 三反二畝歩
(6) 同所六九三番地 同 五反歩
(7) 同所四二〇番地 同 九畝二〇歩
被告人中寛明、同中寛文に対する横領公訴事実
被告人中寛明は昭和八年八月二十八日二村正次に対し奈良県吉野郡十津川村大字上葛川、日尾谷四一六番地の二山林一町六反八畝歩外七筆を立木共金七千五百円に売却し当時買受人二村正次は同山林四一六番地の二の立木を伐採し昭和十年頃その跡地へ杉檜を植林しこれを支配し、その後同山林全部八筆を小林喜太郎に売却し次に小林元之助に所有権が移転し次に東トヨノが同山林全部八筆及びその他を買受け支配していたところ前記四一六番地の二の山林一町六反八畝歩(一筆)が誤つて二村正次が中寛明より買受の際より以降所有権移転の登記洩れとなつていて依然として中寛明所有名義の登記が在つたので被告人はこれを妻中みつゑに贈与登記をなし、同山林を中みつゑが占有していたのを奇貨として被告人中寛明、同中寛文はこれを横領することを中みつゑと共謀の上昭和三十二年七月十五日被告人中寛文は新宮市新宮薬師町千葉孝夫方に於て同人に対し「被告人中寛明が株式会社十津川商会に対して負担する債務金五百二十万百八十一円の代物弁償として前記四一六番地の二の山林一町六反八畝歩を立木共悉皆譲渡する旨」の契約書に譲渡人として中みつゑ、中寛明、中寛文の署名下に押印し尚同山林(同地上に生立さる立木一切を含む)を他人に売却する旨の中みつゑ作成名義の山林売渡証書に同人の押印をなし被告人中寛明は同年八月六日同所において前記契約書の中寛明の署名下に指印し以つて同山林を十津川商会に譲渡し、同月二十三日奈良地方法務局十津川出張所へ同山林(四一六番地の二一町六反八畝歩)を千葉シヅエに所有権移転の登記をなし以つて同山林(約二十年生の杉檜立木約三三〇〇本約六十年生杉立木約二三〇本を含む)時価約壱百万円相当を擅に横領したものである。